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Sun.

格差と思考 ~忙しいあなたへ

ニュースでは、北朝鮮制裁ばかり。国会では、教育基本法も改憲手続法も共謀罪も審議は事実上ストップしたままだ。
 こんな中、昨夜私はどえらく長い会議の後、新しく迎え入れた新米弁護士の懇親会に出席し、女性事務局とお酒を飲みながら話していた。私の事務所にいる事務局さんたちは約10人ほどだが若い事務局さんたちは、私がブログに書くようなことは余り興味がない。
 実際のところ、右派ブログに登場する時間的余裕のある学生さんたちは別として、私ら社会人、特に30代の社会人たちは、概してこの手の話に興味がないか、多少の興味があっても詳しくない。その理由は明白で、生きるだけで正直精一杯だからだ。この年代はとにかく忙しい、残業残業、休日出勤当たり前、子どもの将来を考えるだけで不安になる。たまに興味を示せても政治問題といっても「歴史認識問題」みたいな過去の話なんて一切興味はない。「そんなこといってる場合か、年金なんとかしろ」それが本当に精一杯だろう。
 とても先進国とは思えない有様だが、これが今の日本の現実だ。あまりに身近な不安と課題がありすぎて、天下国家のことなんて考えられない、そんなこと考える奴は暇人で、働いていない怠け者のような気持をもつ、そういう気風がいつからかこの国にはできあがってしまったように思う。学生さんの場合には、将来不安といっても社会人のそれと比べればそのリアリティが桁外れに違うので、政治問題に考えを及ぼすこともできる。しかし、以前の記事に書いたように、これは自分では気付けない右傾化に馴染みやすい素地を持っている。

 この経済的な将来不安は、米国のような相続制度と教育制度によるものとは違い、日本の場合は、雇用制度に大きな原因がある。
 日本では、不安定な地位しか持たない派遣労働者が蔓延し、フリーターの数も半端じゃない。また、もうじき出てくることになっている労働契約法制は、お金さえ払えば解雇できるようにするというものだ。ただ、こういった不安定雇用の増大は別に日本だけではない、多くの国でも増加している。
 しかし、日本の場合には決定的に違う点がある。それは、これら不安定雇用の労働者の賃金が、正社員の労働賃金よりも安いことだ。例えばフランスの場合、正社員以下の賃金を臨時雇用者に適用することは法律上認められていない。
常識的に考えれば分かるが、地位が安定する者と安定しない者だと後者の方がリスクが高い。後者はどうしても必要なときに頼むいわば「助っ人」のようなものであり、当然にコストは高くなるはずなのだ。だから、フランスでは、正社員でなく、派遣労働者をたくさん使えば、当然にコストがかさみ、逆に損をする仕組みとなっている訳だ。
日本の場合、経済的にみれば当たり前のことが、全く逆になっている。企業にしてみれば、地位が不安定な者であれば、不要になれば簡単に捨て、必要になればまた雇うということが可能になり、さらに正社員よりも賃金が安いとなれば何もいうことはない。一方的な利益を貪ることができるわけだ。
また、今、米国にならって作られようとしている日本版ホワトカラーエグゼンプション(年収400万円以上であれば残業代はゼロになる制度)なんていうものがある。これも企業にとっては、残業代というコストなく、働かせ続けることができる魔法のような法律だ。

今、景気が過去最高に高まっているなどと言われる。しかし、一方で日本は、OECD貧困率で世界第2位の貧困国家でもある(2006年7月)。この矛盾の大きな原因はここにある。つまり、生まれた利益を大企業が握り、そこから下へなかなか落ちてこない仕組みが作られているわけだ。それでも直接大企業に勤めている正社員には、かつてと比べれば多少は落ちてくるようになっているだろうが、しかし、企業が確保する利潤とは比較にもならないほど見合ってない。そして、大企業が下請けに出す中小企業にも落ちてこないし、そこに勤める社員なんて落ちてくるはずもない。こんな状態でありながら、政府はさらに法人税負担を軽減し企業を有利にする一方で、一般個人の税負担を和らげる本来恒久的な減税措置であったはずの定率減税を約束を知らんぷりして廃止し、消費税も増額するということをほぼ明言している。加えて先の首切り自由の労働契約法制に、残業代0円のホワイトカラーエグゼンプションの導入だ。
また、今、経済改革を訴える政府の経済諮問会議に名を連ねるのは、御手洗経団連会長などまさに大企業のお歴々である。(サンケイビジネス)これによってさらに、大企業にとって利益がある政策が生まれていき、汗を流して働く人たちの生活は苦しく、また将来の見えない不安な生活が拡がっていくだろう。右でも左でもいい。ニュースを見るときに、「経済改革」だとかいうときには、その「利益」が誰のためのものなのか、という視点をもって見て紹介する必要がある。
 こうやって「企業」という肉体のない人格は富んで行き、肉体のある多くの人間は貧しくなって、毎日の自分だけの生活にも不安を感じることによって、酷い少子化を生みだし、本来、このような理不尽な政策に文句を言うはずの思考すら、もつ余裕も奪われているのだ。

 これが日本における「経済格差」という病理現象の最も大きな原因だ。勝ち組となったこの仕組みを分かっている人間はほとんど大きな声を出すことはない。自分たちの既得権を失う意味はないし、政府にとってもどうせ考えることもできない個々の個人の生活よりも、自らの党の後ろ盾となる「イエスマン」になるしかない大多数の社員という構成員をもった「企業」の方が自分たちの益になるわけだ。日本は、ちょうどロックフェラー、石油メジャーに牛耳られるアメリカの政府と同じ、「財界に操られた政府」になろうとしている。
 そして、その財界が、バブル以降どれほどアメリカに食い込まれているかよくご存じだろう。先のホワイトカラーエグゼンプションの導入なども、米国年次要望書を受けて導入が計画されているものであり、米資本企業が日本での経営を円滑にすることがその主たる目的だ。

 また、この「格差」は、事実上、「生まれによる格差」も生み出すことになる。
 それは、日本の教育費が国でなく、個人・家庭にそのほとんどを負担させられるからだ。
 日本の家計における高等教育費の占める割合は、約58.5%(2002OECD)と世界的に見て異常なほど高い。50%を超えるのは韓国と日本だけで、欧州諸国はスウェーデンの家計負担率0%のほか、軒並み10%以下だ。つまり、欧州先進諸国では、教育はほとんど無料(フランスでは幼小中高は完全無料、大学の費用だって年間2万円程度)なのである。「生まれによる格差」を無くそうという努力がそこにはある(ちなみに、私は、教育費無料についてという限度では民主党案の新教育基本法法案を評価している。しかし、他の「改正」規定が駄目すぎるので全体として反対している。)。また、競争は平等あってこそのものという思想がそこにはあるのだ。
 私は競争社会自体を否定する気はない。私自身、確かに人と競争してきた人間だ。
でも、競争が正当化されるのは、それが平等なスタートラインがあってこそだ。この平等なスタートライン、社会福祉、年金制度、賃金格差...人が生きるための最低限の制度をきちんと確保して初めて競争は正当化されるのだ。
また競争に加われないもの・敗れたものは「生きていけない制度」(障害者に「自分で生きろ」という障害者自立支援法などもそうだ)などは決して作ってはいけない。生きているのは人間で、政治はその人間のためのものだからだ。負け組よりも「よりよい生活」ができれば良いのであって、負け組を、生きることで精一杯の「貧困」状態にして、富を得るべきではない。そんな社会は持続しない。殺し合いの世の中だ。

小泉・安倍政権(いや、自民党自体がつくりあげたこの制度か)が、この「経済格差」を「すすめてませんよ」とか「格差なんてないですよ」なんて言いながら、ちゃっかりぐいぐいと進めている。
「忙しくて、そんな暇なこと考えてらんねー」という同年代の真面目な企業戦士たち、なんでこんなに苦しいのと嘆き、目の前しか見えない人たち、あなた達が報われるべきまっとうな権利は本当は存在する。それが見えなくされているだけだ。
今の日本の資本主義は、本当の資本主義じゃない。貧しいものをあえて作りだし、一部の者が搾取するという既得権を守る独裁的資本主義なのだ。
経済的貧しさは、心を貧しくし、思考を奪う。
 忙しくても、考えることをやめないようにしよう。考えることをやめたとき、私たちは本当に、国と一部の「勝ち組」の奴隷となってしまうだろう。
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04:12 | エッセイ | comments (18) | trackback (-) | page top↑
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