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Tue.

靖国問題

 明日8月15日は、終戦記念日だ。そして、散々マスコミが宣伝するように、小泉首相が靖国神社を公式参拝するかどうかが注目されている日でもある。
 今日このテーマで書く人は(多分)多く、書き始めると長くなるので余り積極的に書く気はなかったが、今日偶然「TVタックル」という番組を見てしまった。この番組、靖国問題をテーマとしていたのだが、この内容が、あまりに低次元で、感情的で、酷い内容だった。その直ぐ後には、NHKスペシャル、またその後にはNEWS23で「上坂冬子」(!)が登場していた。全ての番組に共通するのは、靖国の「歴史認識」問題(対中国問題)にしかふれてないことだ。
 当然、私とは違う考えの人もいるだろうけども、あのTVタックルという番組で出ている人たちとは違う考えもあることを示しておいた方が良いかもと思い立った(歴史認識問題に限定されるがNHKスペシャルはよくまとまっていたし、何より議論が理性的で良かった)。
 ということで以下、つらつら書いてみる。


--------------------------------------

 この靖国問題は、高橋哲也教授の分類を参考にすれば、①「感情」の問題、②「歴史認識」の問題、③「宗教」の問題、④「文化」の問題に分かれる。

 しかし、今注目されているのは、その複数の問題のうちの②「歴史認識」の問題だ。
 小泉日本政府は、「A級戦犯なんていない。『愛国心教育』で偏った歴史認識を持った中国が、日本の歴史認識に介入しているだけだ。英霊の御霊を慰霊するのがなぜ悪い。しかも公約だ」として、公式参拝を実行しようとしている。
 これに対して、中国政府は、「戦後補償の処理において、一部の『軍国主義者』とその他の日本国民に分け、『軍国主義者』のみを戦争責任の対象とした。つまり、一部の『軍国主義者』に責任があるとの歴史認識を日中で共有することを確認したから、当時復興途中であった日本への損害賠償請求権を放棄したのだ。」との反論が出る。
 私は、この歴史認識を巡る対立は全くの無意味だと思う。
 それは、双方ともに東京裁判で有罪となった一部の「軍国主義者」がスケープゴートされたものという理解で本当は一致しているからだ。
 中国政府自身、一部の『軍国主義者』に責任を集中させ、損害賠償を放棄したのは、将来的な日中関係を考慮した政治的判断だろうし(第一次大戦後の多額の賠償義務を背負い再び戦争に走ったドイツの歴史も考慮されたと言われることもある)、日本政府だって、一部の「軍国主義者」に責任を押しつける東京裁判を天皇の戦争責任を回避するために有益であったことから利用し、またこれによって対中国関係についても金銭賠償をも回避できた訳だ。結局、日本にしても中国にしても、歴史を政治の道具として利用して現在の状況と将来の利益を見込んで和解していたと言える。

 東京裁判は右よりな方が声高に言うように裁判としては明らかに間違った裁判だろう。正しい裁判なら戦争責任者に、最高責任者の昭和天皇が入らないはずがないからだ。
 過去のお互いの利益のために政治的決着でスケープゴートすることに決めた「A級戦犯」という名の『軍国主義者』を、約束を今になって反故にしたいのなら、免除された損害賠償義務を中国にたたきつけて「賠償金払ったんだからいいだろう」というしかないだろう(村山富市の謝罪なんて実際のところ意味はない。戦争責任において裁判も受けず、賠償も払わず「ごめんなさい」で済むわけない)。南京虐殺の人数がどうのこうのなんていう歴史認識問題は参拝の是非には全く意味をなさない。それは金額の多寡に影響するだけだ(どうせ払わないから関係ないだろうけども)。

 本当に問題なのは、冒頭にあげた①の感情の問題と③宗教の問題だ。
 ③が問題なのは当たり前だ。最高裁は憲法判断を避けているが、憲法判断を下せと言われれば、甘いと言われる目的効果基準で判断しても効果がはっきりしているので違憲に決まってる。「靖国神社は宗教でない。日本人なら誰でも尊敬すべき「道」である」などと言った人もいるが、そういうわけにもいくまい。

 実際問題、今の日本にとってアメリカ一辺倒の外交政策は愚策であることはだれでも思っている。中国との関係とアメリカとの関係をバランス良く保ち、かつその架け橋となるぐらいが日本の最もよい政治的位置であることは誰も否定しないだろう。
 実際、アメリカにしてみれば、中国をも気にして「参拝やめとけよ」と冗談交じりに参拝を止めようとする振りをする。靖国問題で日本と中国は関係を希薄化させ、一方でアメリカは中国との関係は悪化しない。お馬鹿な日本が勝手に言ってるのよとでもいわんばかりだ。

 それにもかかわらず、何の理由もなく、これまでの日本の対中外交の積み重ねを捨ててまで靖国参拝を強行する行動は理解しがたい。そこには必ず政治的理由がある。
 その理由は、「靖国神社」というシステムが日本政府にとって極めて都合の良いものだからだろう。前述の高橋教授が言う悲哀を洗い流し栄誉を生み出す「感情の錬金術」は、教育勅語・軍人勅諭・愛国心教育と並んで戦争遂行の原動力となった。現代においても、自衛隊という「軍隊」を持つ以上、この「靖国システム」は重要なシステムというわけだ。まして、憲法9条の「改正」、海外派兵恒久法制定など軍事行動を拡大しようとする訳だからその重要性はますます高い。
 結局、政府が靖国にこだわるのは、自衛「軍」を闘える軍隊にするためには、教育基本法の「愛国心」明示と並んで「靖国システム」の維持は譲れないからというのが本来的目的だろう。

 彼らはいつも本当の理由を明言しない。教育基本法の「改正」で愛国心教育を盛り込む理由は、彼らのいう改正理由である学力向上にもニート・フリーター増加にも、少年犯罪の増加のどれにも何ら関係がない。それでも小泉路線を引き継ぐ安倍氏は教育基本法「改正」を最優先すると言い放ち、靖国参拝も隠れてコッソリでも参拝をする。

 愛国心の押しつけだけでなく「靖国」などという感情のコントロール装置まで使わなくてはいけない「軍隊」は、本当に「中立国」の専守防衛の軍隊なのか。
 「靖国問題」に現れる政府の意図は、本当は何を狙っているのか、何に繋がるのかそこにこそ私たちは注視する必要があるのではないか。反中とか反韓とか言っている場合ではないだろう。そこに何一つ利益はない。
 


遺族として
 ちなみに私の祖父は戦死している。今の私の年齢より若かった。当然取り決めのとおり祖父の名は靖国神社に挙がっている。私の父は母子家庭の貧しさのために自分の兄を大学に行かせるために少年時代から働き、自分が大学に入学したのは30歳を超えた後だった。

 祖父は争いを好まない平和を愛する人だったそうだ。生まれてくる父を気に留めながら戦地へ行き、人を殺し、そして死んだ。そんな祖父にとって、未だに「靖国」によってあの戦争に縛られる、そして孫やひ孫の代にまで戦争の道具だった「靖国」が用いられる、そんなことは決して望まないだろう。
 人殺しを強要され苦悩の中戦死した者、その遺族の血のにじむ苦労を利用するのはもうやめて欲しい。

 現在まで私の祖母は20代で死に別れた夫を靖国に慰霊に行ったことなどない。
 私の祖父は私たちの家族に見守られ、実家の小さな墓石の下で安らかに眠っている。ただそれだけだ。

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01:57 | 靖国問題 | comments (17) | trackback (-) | page top↑
「靖国の魔力」  加藤家放火、そして切腹 | top | 反戦の火灯る ~米民主党の予備選で反戦新人が勝利

Comments

# トラバありがとうございました。
DANZOさん、おはようございます。トラックバックありがとうございます。とうとう今日は敗戦記念日ですね。
悪いことをしたら先ず「ごめんなさい」それから対話するものだと思っています。それを逆にいっているのが「靖国参拝」ではないかと思います。
それにしてもここは更新の度にテンプレが変わっていますね(笑
DANZOさんの記事はいつも考えさせられています。わたしもいつかそんな記事を書けるように頑張っていきます。
by: 吉祥天女 | 2006/08/15 08:11 | URL [編集] | page top↑
# 小泉靖国参拝の国家主義
 大変な日になりました。小泉の本性がヤスクニに表れています。
 「経済格差」の拡大を庶民に押し付け、それを確固とした権力によって押さえつける仕組み作りが、ヤシクニ参拝です。
 現状をひっくり返す行動――アメリカの広島・長崎への原爆投下、北ベトナムへの北爆、北朝鮮のテポドン発射、周辺国が反対しているにも拘らず日本の海外侵略の正当化――は同じです。
 私は「経済格差」が様々なところで、表現されていることを明確にしていこうと思っていますが、私はブログだけでは終わらず、行動もするつもりです。
by: morichan | 2006/08/15 08:18 | URL [編集] | page top↑
#
> 私は、この歴史認識を巡る対立は全くの無意味だと思う。
 それは、双方ともに東京裁判で有罪となった一部の「軍国主義者」がスケープゴートされたものという理解で本当は一致しているからだ。

という一文は僕はまったく思ってもいないことだったので、思わずこの人は何が言いたいんだろうと思ってしまいましたが、

> 東京裁判は右よりな方が声高に言うように裁判としては明らかに間違った裁判だろう。

ということで、東京裁判は間違った裁判だったので、その東京裁判の前提での歴史認識の対立の議論は無意味だということなのでしょうか?

でも、僕は東京裁判が正当なものであったかどうかの内実の議論はあっていいとは思うのですが、東京裁判を受け入れることは歴史的に日本が果たすべきことだったのであり、東京裁判の有効性は否定するべきではないと思います。たとえ不当な裁判であったとしても、裁判を行ったこと自体を否定するべきではなく、むしろ、それを受け入れることで日本が国際社会に対して役割を果たしていくことがいいのではないか?と考えるのですが。
by: kusukusu | 2006/08/15 13:45 | URL [編集] | page top↑
# 小泉劇場にはもう うんざり
DANZOさん、こんにちは。北海道の中年ケアマネnobです。

小泉首相が律儀に公約を守って靖国参拝しましたね。本当に困った首相です。

TBさせていただきました。
by: nob | 2006/08/15 15:57 | URL [編集] | page top↑
# みなさんコメントありがとうございます+若干の補足
>吉祥天女さん
 暑い日が続きますがお元気でしょうか。
 テンプレは日替わりにしたいくらいです(^^)
 ただ、しばらくはこれで行こうかなと思っています  けど。
>morichanさんも、連日のキャンドルでもに参加さ れていたのですか?イラクの時は1万人の防衛庁 包囲デモをしても報道すらされず(報道陣はいたの に)、翌日のTVのコメンテーターが「日本ではデモ などが起きないですね-無関心なんでしょう」みた いなことを言っていたときは唖然としました。今回は ちゃんと報道されてました。恣意的だと批判するの も簡単ですが、マスコミにきちんと報道させる運動 論も重要かと思いますね。

>kusukusuさん、こんにちわ。確かお玉さんのところでお会いしましたね。コメントいただけて嬉しいです。
 ざっと書いてしまったので、説明も足りてないところが多々あるかと思います。以下若干補足させていただきます。

 東京裁判が無効だからA級戦犯はいない、だから靖国参拝は問題ない、東京裁判は有効だからA級戦犯のいる靖国への参拝はだめだというように、靖国問題をあたかも東京裁判の有効無効の問題(裁判に無効なんてそもそもないが)であるとすることに私は反対だ,より重要な視点は靖国が持つ戦争における役割だろうと記事には書いているつもりです。

 > 私は、この歴史認識を巡る対立は全くの無意味だと思う。それは、双方ともに東京裁判で有罪となった一部の「軍国主義者」がスケープゴートされたものという理解で本当は一致しているからだ。

 最初に申し上げておきたいのは、ここでいう「歴史認識」というのは東京裁判の正当・不当というA級戦犯の存否を巡る認識を指しています。
 上記の引用文は日本政府と中国政府の当時の見解がそうだろうということで、一般市民の見解がそうだということではありません。日本は、一部の「戦争責任者」に責任を押しつけて自らの責任について果たすことがついになく、市民もこれをもって責任を果たした気になっている。当時の中国政府もこれを容認し、一般市民の理解との乖離を生みました。この政府と市民の考え方の違いに、靖国の「歴史認識の問題」(A級戦犯を巡る問題)があるのだと思っています。
 本来、戦争の責任は、裁判で決せられるようなものではありません。それにもかかわらず、右翼的発想の方々は、東京裁判で決せられたから一部の日本人に戦争責任があり、そしてそれは果たされたと考えています。ここまでは、当時の両政府の考え方と一致しています。
 理想から言えば、ここから市民の側で、歴史認識を深め、中国市民との平和へ向けた交流が深められるのが理想でした。

 ところが、日本では、この政治的産物である東京裁判を、その「裁判」という形式論を逆手にとって「あれは無効だ」などという人たちが出てきています。一部の人たちの責任でなく、日本人一人一人の責任でないかという歴史認識を深める方向ではなく、逆に「本当は誰にも責任はない」などといった発想に変わってきてしまったのです。
 確かに裁判自体は一部事後法まで用いて処罰し、反面最高責任者の無責とする不公平な「裁判」でした。しかし、裁判とは関係なく、天皇を中心とする日本そのものに責任があることは誰の目にも明らかです。それを裁判手続に責任の根拠を求め、これの無効を唱えることにより「日本無罪」を帰結するのは、そもそもの東京裁判の意味からすれば誤りだと思うのです。東京裁判は、天皇が無責となることからも分かるように、ごく政治的なもので右翼な方が信じるような、本当の責任の所在を決める「裁判」ではあり得なかったからです。
 本来「歴史認識」で重要なのは、東京裁判の「裁判」としての正当・不当やA級戦犯の有無ではなく、実質的な意味での戦争責任を考察することだと思います。kusukusuさんの仰るように、東京裁判の正当・不当(裁判に無効はあり得ません)ではなく、歴史認識を深め「日本が国際社会に対して役割を果たしていくこと」はとても重要です。しかし、それはA級戦犯合祀下での参拝を問題とする靖国問題観とは余り関係がありません。
 靖国問題をこの東京裁判A級戦犯合祀問題の観点だけから考えてしまうと、A級戦犯の分祀により全て解決してしまうこととなってしまいます(もちろん政教分離の問題はありますが、最高裁は必ずこの争点は回避します)。
 東京裁判によるA級戦犯の合祀があるからなどという理由で、靖国参拝の是非を問うのは、事の本質を見誤ると思うのです。


 日本政府にしてみれば、A級戦犯合祀があるかないかは重要な問題でなく、靖国の戦争(彼らの言葉を借りれば「安全保障」)に資するシステムが重要な訳で、記事に書いたように、この問題こそが重要だと思っています。この問題は、A級戦犯の分祀では解決できません。

 ぐちゃぐちゃ書きましたが、靖国問題は、マスコミが取り上げるようにA級戦犯合祀問題が重要なのではなく、靖国神社の戦争における役割を問題にする視点が重要なのだと思うというのが結論です。
by: DANZO | 2006/08/15 16:54 | URL [編集] | page top↑
# さらにちょっと補足
 でもまあ靖国とA級戦犯問題で、結果的に、市民レベルで「戦争責任」についてマジメに考えようとする動きもできはじめた気がします。東京裁判の当否は余り議論する気はないですが、「戦争責任」について寄り深く一人一人がもっと情緒的に考えることはとても重要な事だと思います。
 しかし、ここに止まることはなく、靖国の抱える真の問題点にまでマスコミ・知識人は踏み込むべきだ、そう思います。
by: DANZO | 2006/08/15 17:19 | URL [編集] | page top↑
# nobさん お久しぶりです
お久しぶりです。北海道はどうですか?こちら(神奈川)よりは涼しいんでしょうね-。
確かに首相が憲法を破って公約を守って参拝しましたね。あの人を当選させた神奈川県民として非常に恥ずかしく思います。
by: DANZO | 2006/08/15 17:22 | URL [編集] | page top↑
#
DANZOさんが仰ることはちょっと無理がある議論のように僕には思えます。
そもそも戦争責任が完全に果たされるということは不可能だと思うのです。
戦争というのはあまりに膨大な犠牲者をうむわけですから、日本が戦争をしたことでうんだその全ての被害者に対して損害賠償をし続けなければならないとしたならばいくら日本が経済大国でも物理的に不可能であると思います。
やはりある程度、有限な範囲で責任を果たすしかないように思います。
たしかに昭和天皇に戦争責任はなかったのかは難しい問題かとは思いますが、これは国家レベルで日本が戦争をした相手国のアメリカや中国とどこまで有限な範囲で戦争責任をとるかを相互の理解のもとに決めたものであるわけで、その上で日本は国際社会に復帰し、中国とも国交回復したのですから、それ以上、戦争責任を追求する(それもこれだけ年月がたって、昭和天皇自身もお亡くなりになってから)というのは無理な話であり、それよりもお互いの友好的な交流を深めていくほうがいいと思います。市民レベルでの戦争責任なんてことを言い出すと無限に戦争責任が追求されることになり、永久に友好的な関係を回復させることが出来なくなってしまうのではないでしょうか?
たとえば戦争責任、戦争犯罪が果たされていないということならば、アメリカが行った東京大空襲や原爆投下はあきらかに常軌を逸した戦争犯罪であり、それも裁かれないといけないことになります。しかし、アメリカはなんの賠償もしていません。それは日本は負けたのだからということで請求することを放棄してきたわけでしょう。
ある程度、有限な範囲でしか、戦争責任を果たすということは出来ないのではないでしょうか?
だから僕はむしろA級戦犯の合祀ということに問題点を絞って考えるべきなのではないか?と思うのです。
もちろんそれだけでは靖国神社が戦死した軍人を讃える機能を果たしている場であるという問題は解決されないわけですが、それは別問題として切り離して考えていくほうがいいのではないでしょうか?
靖国神社以外に新しい国立追悼施設をつくったとしても、それが国立であれば今後の戦争で戦死者を讃えて祀る場になってしまうのではないかというほうに僕は不安を覚えます。そういう意味では靖国神社は一宗教法人のままで行きたい人は行けばいい、僕は行きませんからということでいいのではないかと個人的に思います。靖国神社を国営化する(麻生私案)のはもちろん、新しい国立追悼施設ををつくることにも僕は反対です。
by: kusukusu | 2006/08/15 18:44 | URL [編集] | page top↑
# ^^
>kusukusuさん
 たびたびコメントありがとうございます。別の考え方というのはあってしかるべしと思っているのですが、ちょっと私の記事の趣旨が間違って伝わっているかもしれない(ただ、A級戦犯問題に限定すべきでないと言う点については明らかに誤解ですのでよく読んでみてください。)ように思いますので付言します。

>市民レベルでの戦争責任なんてことを言い出すと無限に戦争責任が追求されることになり、永久に友好的な関係を回復させることが出来なくなってしまうのではないでしょうか

 記事でも言っていますように、法的な責任は東京裁判で完結していると私は思ってます。市民レベルでの法的責任なんてあり得ませんし、天皇にいまさら法的責任を取れなんて言うつもりもありません。東京裁判が政治的産物であろうがなんだろうが、法的責任はそれで終わりなのです(それを東京裁判が無効だと言って、その最低限の責任すら破棄しようとしていることの問題点を私は指摘しています)。
 だから最低限の法的責任はちゃんと守りなさい、これ以上「靖国の歴史認識問題」で言うことはありません。

 しかし、靖国問題から離れて言えば、道義的な意味での戦後責任は消してはいけませんと言うことです。私が言っているのは、日本はあの戦争での加害の事実を放棄せず、その心との共生を図るべきだという意味です。「嫌な気持になる」「暗い気持ちになる」そりゃそうでしょう。そこまでの事をやったのだから。でもその事実から逃げないで、この心を自分たちの一部として受け入れ、中国や韓国の市民と友好を深めることが必要だという意味ですね。 これは、法的な責任とは違う意味の「道義的」責任論です。比喩が良くないかも知れませんが、親と喧嘩して殴っちゃった、しかし、その親と喧嘩した事実は消えません。この不快な気持も全部前提にしながら付き合っていくのです。これが一人の人間同士なら意識しなくても他に方法がないのでできます。しかし、構成員が複数でしかも変わり続ける国と国の関係ではそうはいきません。この「道義的責任」を忘れないことが平和と友好を得られる唯一の道だと私は信じて疑いません。 
 そしてこの「道義的責任」の問題はA級戦犯無罪論を争点とする靖国問題に直接はやはり関係はないと思います。それは法的責任の問題であり、道義的責任どころか、最低限の法的責任を放棄するような行動をとっていることが問題とされている場面ですから。「東京裁判で法的責任を果たした、だから靖国も参拝しないだろ。だから日中戦争は一切忘れた。中国ももういい加減忘れろ」そんな事で友好は永久に築けません。何かをする必要はなく(チチハル毒ガス事件など個別事件はありますが)、事実を忘れない心を持つという償いをすべきだと思います。

 また、私がA級戦犯論に限定しない方が良いと言っているのは、戦争責任論ではなくて、つまり、そのような「歴史認識」の問題だけでなくて、靖国神社というもの自身が持つ危険性を問題にすべきだという全く違った次元の話をしています。もちろん靖国問題に「道義的責任」の問題を結びつける必要は何もありありませんし、中国・韓国すらもそこまでは求めていません。それは相手に求めるもの(法的責任)ではなく自発的に持つべきものだからです。

PS:ちなみに戦争での法的責任は単なるフィクションでkusukusuさんの仰ってるように、どこかで区切らなくてはいけないから区切るのです。そして、誰をどう罰するかは純粋に政治的な判断です。原爆投下が罰せられないのは裁いている側の国だからです。
by: DANZO | 2006/08/15 19:38 | URL [編集] | page top↑
#
ちょっと僕が誤読しているところがあったのかもしれませんが。

>私が言っているのは、日本はあの戦争での加害の事実を放棄せず、その心との共生を図るべきだという意味です。

そういうことでしたら、それこそ、こうしたブログの場で個々人が日本がどういう戦争をしたのか、日本の加害とはなんだったのかを語り合っていくことが大切なように思います。今日、いくつかブログを見ましたが、戦争の話を書いているところは多く、これこそが草の根の活動です。これが国境をこえてたとえば中国や韓国の人達と市民レベルでブロガーたちがあの戦争はなんだったのかを議論しあうようになっていったならばいいですね。

>つまり、そのような「歴史認識」の問題だけでなくて靖国神社というもの自身が持つ危険性を問題にすべきだという全く違った次元の話をしています。

これは靖国神社だけの問題ではないと思うんですね。日本では靖国神社という場だったということで、戦争したらその戦争した国家は必ず戦死した兵士をなんらかの形で讃えるんですよ。そして遺族にはお金を払い続けるし。それはどこの国家でもやっていることです。逆に考えるとそれをやらない国家だったら、死んでもなんにも讃えてもらえずお金も補償してもらえないなら、誰も戦場に行きませんよ。
だから、靖国神社とは形は違っても、国立の追悼施設はそういう場になりえます。その施設が当初はそういう目的でつくられたものでなかったとしても、仮に日本がこの先、戦争をしたならばそうした場が必ず必要になってくると思いますのでそうした場になる危険性があると思います。

>原爆投下が罰せられないのは裁いている側の国だからです。

だから戦勝国が裁くという形ではない、独立した機関として戦争犯罪を裁く国際法廷の場を国連などでつくっていき機能させていくことが必要だと思います。これはどこの国家がということではなく、全人類的な課題だと思います。

by: kusukusu | 2006/08/15 20:24 | URL [編集] | page top↑
# そういうことですね
>kusukusuさん
 最初からあまり考えは違わないかなと思っていました。ちょっと文章の構成が分かりづらかったのかもしれませんね。ごめんなさい。kusukusuさんの最後のコメントの仰るとおりと思います。

 ただ、「靖国」は新設の追悼施設では賄えない「伝統」と「神道」という強い影響力を持ち、これが持つ影響力は相当違うと思います。つくる会教科書では、靖国史観に近い内容が教育の中に盛り込まれ、強雨行く基本法、新憲法草案でも「伝統と文化」を強調します。自衛隊内部でも靖国史観は教えられています(これは私が実際に仕事で担当して見たものです)。
 やはり、これは「靖国」の問題であろうと思います。
(TBにあるnobさんのブログが簡潔にまとまってますのでご覧になってみてください。)
 
ブログを始めるまで、若い人(まだ自分も若いと思ってますが)がこの手の問題に興味を持っているとは思いませんでした。とても素晴らしいことだと思います。アジアのブロガーと交流ができたら本当に素晴らしいですね。チャイ語勉強しますかねぇ(時間が欲しいなぁ)
by: DANZO | 2006/08/15 21:02 | URL [編集] | page top↑
# 訂正
強雨行く基本法(なんだこりゃ)

→教育基本法です。
by: DANZO | 2006/08/15 21:13 | URL [編集] | page top↑
#
>ただ、「靖国」は新設の追悼施設では賄えない「伝統」と「神道」という強い影響力を持ち、これが持つ影響力は相当違うと思います。

たしかに靖国神社の史観は既成のものとしてすでにありますので、これが国民に受け入れられれば戦争をはじめる政治家側としてもやりやすいということはあるとは思いますが、なかなか反発も強くありますからね。また靖国神社を国営化するには非宗教法人化しなければならずこれには右からの反発もあるでしょう。
だから、靖国神社を戦前のように回帰するということも容易とは言えませんので、それなら別の新しい国立追悼施設を、当初は平和的な施設だという名目でつくっておいて、今後、戦争になったらその場を変質させていくという方向にいくかもしれません。そうした不安は消えません。
by: kusukusu | 2006/08/16 18:15 | URL [編集] | page top↑
#
つまり、「伝統」と「神道」ということにこだわる人たちもいるでしょうが、そうしたものには反発を感じる若い人たちも多いと思います。戦争は若者を兵士として動員しなければならないですからね。そうすると靖国神社だけではついていかないという若者は出てきますので、別の形の施設を併設してつくって、そこで別の形で靖国神社にはついていけない若者たちもフォローするみたいなことはあるのではないでしょうか?
政府がつくっている、新しい国立追悼施設を検討している懇談会の議論をネットなどで見た限りではそうした危険性を感じています。
by: kusukusu | 2006/08/16 18:24 | URL [編集] | page top↑
# こんばんわ(^^)
>kusukusuさん こんばんわ
コメントありがとうございます。kusukusuさんの熱意を感じますね。もっと多くの人がkusukusuさんのように広く真剣に考えてくれたらいいのにと思う今日このごろです。

安倍政権でなければ別の「追悼施設」をつくるというい動きはあり得るでしょうし、KUSUKUSUさんの仰るような危険性もあるでしょうね。
靖国史観についていけない若者がたくさんいるというのはその通りだと思います。

 ただ、それは、今の「平和な時代」という環境と私たちが戦後の教育を受けてきた世代だから言えることではないでしょうか。私たちが戦争の悲惨さを、抽象的ながらも理解しているから言えることだと思います。これが、欧米列強から植民地解放のため戦った聖戦「大東亜戦争」だ。万世一系の天皇陛下こそがこの国の「伝統と文化」である。A級戦犯とされた方々こそが英雄なのだよ」小学生時代からこんこんと教え込まれた時には全く状況が変わってくるでしょうね。戦中でも小学校が戦争教育のターゲットにされました。これは現在でも同じなのです。教育基本法「改正」の中心である愛国心教育は、全国190校の小学校で既に行われています。
ターゲットは今の私たちの世代ではありません。私たちの子どもの世代が中心的ターゲットです。
だから、私は、私たちの尺度で考えていては危険だと思うのです。既に10代のネット右翼の世代とは、目に見えて考え方の違いが現れてきています。彼らは子どもになんと教えていくでしょうか、彼ら以降の世代が教師、政治家、法曹(特に裁判官になると危険)などになっていきます。
今だけでなく未来まで考えた平和的未来志向が重要だと思う次第です。
by: DANZO | 2006/08/16 22:25 | URL [編集] | page top↑
#
たしかに教育基本法改正と憲法改憲はセットになっているように思います。
ただ戦前と今はまったく同じ国際情勢でもありませんから、「欧米列強から植民地解放のため」という論理がそのまま通用するわけでもないのではないかと思います。

たしかに今の視点からではなく当時の視点で考えることも必要でしょうが。
僕らはあの戦争が負けて悲惨な結果に終わったことをすでに知っていますが、リアルタイムにそこで生きていた人はそうではなかったし、そこにはある側面では「正義」の論理があったのかもしれません。(ひとりよがりの正義だとは思うのだけれども。)

つまり、当時、「靖国で会おう」と誓いあって戦場で散っていった多くの兵士たちがいたことは事実です。だから、靖国神社は彼らを祀り続けなければいけないということにまでは反対は出来ないかもしれません。
DANZO さんが言われるように、当時、どのような教育が行われていたかを考えると、当時は小学校から「大東亜戦争」は欧米列強からアジアを植民地解放するための「聖戦」であると教え込まれ、皇国史観をたたきこまれました。学校でそう教えられて、まわりの大人たちにもそう教えられつづけた。たしかに子供のときからそんな風な環境で育てばその影響ははかりしれないものがあったと思います。
だから、特攻隊だって自ら望んで志願した人だっているのです。決してイヤだったのに特攻隊になったとは限りません。 小泉首相が感傷的に特攻隊の手記に感動されているのはそうした面に年代的に感じるものがあるのかもしれません。

戦争をはじめた支配者層やそれを後押しした知識層には別の思惑があったのかもしれません。アジアを侵略して利益を得ようという。しかし、実際に戦場へいった兵士の中にはこれが「聖戦」である、すなわち欧米からアジアを解放する正しい戦争を自分達はしているのだと信じていた人達もいっぱいいたのではないでしょうか?
「聖戦」であると信じたからこそ、戦局が不利になっていき、もしかしたら負けるかもしれないと思っても、自分達は正しいことをしているんだ、正しいことをして死ぬのだからと思って特攻隊になれたのではなかったのでしょうか?

だけれども、それはひとりよがりの正義だったのではないか?
そのような「聖戦」を信じて戦場へいったのに、そこではアジアの人達に自分達は望まれていず、自分の信条と現実のギャップに葛藤はなかったのだろうか?

ここが微妙な問題なのですが、「大東亜戦争」は欧米列強からアジアを植民地解放するという側面ではある種の正しさも持っていたのかもしれないとは思うのです。(戦争をはじめた支配者層の思惑はそうしたことではなくて侵略して利益を得ることにあったのだとしても。)しかし、それはアジアの人達に望まれるものだったわけではなくて、ひとりよがりの正義だったのではないかと思うのです。

このように、今後、日本がまた戦争を行うとしたならば、当時のような「アジアを植民地解放するため」ということとは別の「正義」の論理が持ち上がって来るかもしれないけれども(そもそも現在、欧米列強がアジアを植民地にしているわけでもないから「欧米列強から植民地解放のため」という論理はそのままは適合できないし)、それはひとりよがりの「正義」ではないのだろうか?という点を気をつけないといけないかと思います。
たとえば北朝鮮の人達を金正日政権から解放するためとか、台湾を独立させるためとか。そこには一定の「正義」はあるのかもしれないけれども、それを戦争をすることで達成させることが本当に「正義」なのだろうか?
たとえば今のイラク戦争は、フセインから圧政されていた人達からするとそうした状況から解放してくれるものだったという側面もあるのかもしれません。アメリカの戦争をはじめた支配者層は石油のためにはじめたのだったとしても、そこで持ち出された「正義」の論理にも一定の「正義」はあるのかもしれない。しかし、それがイラクの人達が望んだことだったのだろうか?それはアメリカのひとりよがりの正義ではないのだろうか?

話がざっくばらんになってきましたが、つまりは当時そのままのことが再現されるわけではなくて、現在の状況に合わせて新たな「正義」の論理が持ち上がって来るのではないかと思うのです。当時の視点で考えつつ、今の状況に即して考えていくことも必要かと思います。

なお、中国はA級戦犯を合祀しているから靖国神社は問題なのだとA級戦犯に絞って問題にしていますが、これは中国の史観にたてば道理なのかもしれないと思います。つまり、それはマルクス主義の史観で、支配者層と民衆を区分けした発想ではないでしょうか。
(誉められたようなので、ついいい気になってしまい、長文すみません。)
by: kusukusu | 2006/08/17 18:21 | URL [編集] | page top↑
# おそくなってごめんなさい
kusukusuさん
>現在の状況に合わせて新たな「正義」の論理が持>ち上がって来るのではないかと思うのです。当時>の視点で考えつつ、今の状況に即して考えていく>ことも必要かと思います。

これはそのとおりです。今や2次大戦中の植民地獲得合戦の帝国主義時代ではありませんので。イラク戦争の開戦理由の変遷が、まさにkusukusuさんのおっしゃるところの新時代の「正義」(括弧付き)なのでしょうね。民主化のための戦争、独裁を排除するための聖戦、しかし、これはアメリカの戦争の歴史が示すように、独裁政権打倒→アメリカの傀儡政権の樹立という歴史を繰り返す「偽善」であることは明白で明日です。このような一見美しく見える「正義」にこそ私たちは常に警戒心をもつべきだと思います。
by: DANZO | 2006/08/22 22:49 | URL [編集] | page top↑

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